ひとと動物のかかわり研究会・お知らせ
 ひとと動物のかかわり研究会は、研究・人材育成・シンポジウム等、年間を通して様々な活動を行っています。



 

養老孟司先生講演会 in 日本獣医生命科学大学

養老孟司先生講演会 (文責:池田仁美)


〜的場先生からご紹介〜
東大名誉教授でありまして、北里大学の大学院の教授等を歴任されました。それから当会(動物介在教育・療法学会)の前進であります、「ひとと動物のかかわり研究会」というものを私が院生の時、研究室の中に、サークル活動のようなものですけれども、立ち上げていただきまして、そのあとNPOにしていただいて現在に至っております。いろいろな役職をなさっていたり、またいろいろな著書がありますけれども、もしかしたら私よりも皆様の方が詳しいかもしれなので、そこは割愛させていただきたいと思います。
これから当会名誉理事長、先程の総会で顧問に替わっていただくようになりましたけれども、養老先生の講演会を始めさせていただこうと思います。
題名は?
テーマは?
と皆様思っていらっしゃるかと思いますけど、今回初めてご参加の方はたぶんそう思われるかもしれませんけど、去年確か「ペットのいる暮らし」というテーマを話していただくつもりだったんですけど内容は多岐にわたって、ペットの話を聞きたいなぁと思っている人は、いつ話すんだろういつ話すんだろうという流れの中で、直接の話しではないけれども、そういう理解になるのかなぁみたいなお話で終わりましたところもあるので、特にテーマは設けませんでした。
「ひとと動物のかかわり研究会」ということをずっと長くやってこられましたので、それを含めて先生にご自由にお話していただいて、1時間ほどです。質疑応答の時間は設けませんので、懇親会がありますので、その場で先生を捕まえてお話していただければと思います。(笑い)

〜養老先生のお話〜


よろしくお願いいたします。
今、的場さんにご紹介していただいた通り、何話したらいいかよくわからない。ひとと動物ということで、一番基礎的なことをお話しようかと思います。そういう話って皆さんあんまりお考えにならないと思っているので、こういうのってものの考え方で、特に今ペットは本当にたくさんいて、猫が2千万とか犬が1千万とか言ってますけれども、すごい数なんです。それで何でこんなにみんな動物飼うんだろうなと思うんですけれども、いろんな理由があるに違いない。
ひとと動物のかかわりって前から的場さんがやってこられたんですけど、広い意味ではそうなんですけれど、それって何だろうなとなんとなくずっとどこかで考えて。
まず当然ですけれども、ひとっていう動物がどういう風に暮らしているかということで、要するに自然環境の中で元来暮らしてた訳ですから、自然との関わりに近いんですね。ひとと動物のかかわりっていうのは。ヒトと自然みたいにこう考える。これをもう少し今風にすると、ヒトって何かっていうと、結局みなさん自分でしょ。そうすると自分と自然、自分と周りっていうこと、そういうことの間にちょうど、ペットならペットが入ってくる。ような気がしますよね?ごく普通に。ヒトがいて、本当に自然があって、本当の野生自然があって、ペットはその間に入ってる。
こういう考え方って、じゃあいつ頃から、というか、できたとかできないとか考えてみると、ごく古くはヒトが自然の中にたぶん入っていったんですよね。だからそれはもちろんですけどそうじゃない、ヒトが中に入っていくのはね、今は、今日も来る時そう思ったんですけど、鎌倉から車で来て、ずーっと来て一番驚いたのは、よくもこれだけヒトが住んでるなってこと。人口密集地帯をずーっと通って来たんですよ、車が。そういう時代ですから、ヒトとだらけになっちゃってまして、自然って言っても何それっていう。何か特別なもんでしょっていう。町の中に住んでいれば、別に仕事にも、まぁ仕事には困るかもしれませんけど、まぁ食べることには困らない、生活には困らない感じの世界になっちゃってる。そうすると自然っていうのは、遠くにある感じになってきてしまいます。
それ実は、そうじゃないですよと僕。もともと僕は医学部にいてヒトの解剖などをやってましたから、思ってたんですよね。どういうことかっていうと、自然って簡単に言うけど、我々自身を考えると、まぁ、心と身体ってよく言うんですけど、僕は解剖ですから、こっち側(身体)を扱っていますから、これ(身体)は自然ですね。
心って何かって考えるとこれは別の言葉で言うと、私は意識って言ってますけど、私は私であると思っているのが意識ですから。今しゃべっている私も意識でしゃべってまして、聞いてる皆さんも意識で聞いている。意識と活動して意識している。だから実は対峙しているようにみえるのは、意識と自然っていうのは世論の意識です。
それで外側の自然に相当するものは、個人で言えば身体でしょ。と前から言っているんです。それはどこが違うかというと、自然っていうのは人間が意図的に作ったものだからです。勝手にできてきたんです。その定義で考えると、身体は勝手にできてきているんですよ。皆さん自分の身体設計図にしたがってじゅんぐりに作ってきている訳じゃないでしょ?何か身体キットみたいなものがあって、小さい地図があって、順番に繋いでいったらこうなる、そういうんじゃないですよね?ほっといたらこうなった。だけどそういう風に思っているヒトが意外に少ないんですよ。
それで、どこに出来てるかというとまぁ例えば今話題になっている小学生の自殺なんですけれども、あれね、僕思うに、いろんな事言われますけど、一番根本には、子どもが自分の命を自分のものだと思っているっていうことなんじゃないか。そう思っている、意識的に思っているっていうの、いつの間にかそういう風に思うようになった。自分の人生を自分がやる、当たり前だろこれは、そうすると生きてるってことは、自分が生きてるってことで、自分が生きてるってことは、自分が生きてるってこと事態が自分の判断次第。つまり、意識次第。そうすると生きていて辛いならば、そんな生きるっていうことは、自分の判断で辞めてもいい。なんとなくそう思っている。だから、身体が自然だっていうことは私なんかは本当に自分でそう思っていましたから、これは変だなと思うんです。8:16つまり臓器移植の場合もそういう議論になったんですけど、自分の臓器をヒトにあげて何が悪いっていう、これ、自分の臓器かってことなんですよ。つまり自分で作ったものは、確かに自分のものなんですけど、土地は自分のものかっていうと、この中に自分の土地をお持ちの方で、自分のものでしょという方がいるかもしれませんが、それは何ででしょうね?本当に自分のものか?
自分が死んだら、別に関係ないですから。極端に言うと。それはどういうことかっていうと実は、自然って管理権がなんですよね。その土地の管理の権利は自分にあると。どうせみんなそうで、ペットがそうでしょ?だからイヌは繋がなくちゃいけないんですけど、なぜかって言うと飼い主が管理するから。責任感でしょ?権利と同じで。それと同じで自分の身体って言うのは、管理責任を負わされているんですよね。
だから昔は宗教の領域ですから、人生をなんと言ったか、命をなんと言ったかと言うと、与えられたものと考えて、そうですね…だから、そのいろんな表現しますけども、生命って、自分の命っていうのは与えられたもの、預かりものですよ。だから、自分のこどもだってある意味預かりもの、自分のものじゃない。今のヒトは、産むつもりで産んで、そうでしょ、人工授精までやって産んでるんですから。だから自分が作ったんだと思うかもしれませんけど。そこら辺に切れ目の問題がありますね。どこまでが自分のものか。それで私はごくごく自然っていうか、古いですから、やっぱり考えれば考えるほど命は与えられたもので、自分のものじゃない。必ずしも。ただ管理しなくちゃいけないのは確かで自分が。そういう風に思うと子どもが、やっぱりかなり極端な考え方をいつの間にか身につけちゃってるのかなぁと、臓器は自分のものだし、命も自分のものなんだから、そんなもの自分が価値がないと思ったら捨ててもいいと。
もうちょっと具体的に、僕、解剖やってましたから、ある時、解剖してて、自分解剖するってどうかと思うとですね、こりゃできないなとすぐ思うんですよね。自分が死んで解剖しようとすると解剖する方の自分がいなくなってきますから。そんなことは当たり前なんですよね。そうすると、みなさん簡単に死体っていうけれども、自分の死体ってないなぁと気がつきます。自分の死体が発生した時にはそれを自分の死体だと思う自分がいなくなってますから。そうですね、全然そんな事言わなくたって昨日から今日までの間に、みなさん方意識なかったんですよ。何時間か。必ず。その間にくも膜下出血かなんかでぽんと死んじゃったら、まだ目が覚めるつもりでね、寝てるでしょ。(笑)そうでしょ。死ぬってたぶんそれと同じことだと思うので、そうすると、いろんな人が自分が死んだらとか、まだ若いヒトが心配していると思うんですけど、自分が死んだって何の心配もないですよ。そうでしょ。今日もそうですよ、的場さんが来いっていうから来たんですけど、途中ずっと車で来ましたから、1時間。あれで交通事故起こして死んでるとここに来てないですよ。来てないけど私が困るかっていうと、全然困りませんわ。そうでしょ?困るのは的場さんですよ(笑)そういう風に考えたら皆さん方、自分が死んで困るのは自分じゃないんですよ。そうでしょ?誰が困るんだよ。赤の他人は困りません。だって、ただいま現在、世界中の事考えたら、1分に何人も死んでるんですよね。今ご臨終ですって方たくさんいるんですよ。だけどそんなヒト死のうが生きようが、みなさん知ったこっちゃないですよ。ということは、ヒューマニズムとか、人類どうとかって言いますけど、赤の他人は関係ないんですよ。実は。
じゃあ生死ってどこに関わっているのか。親しいヒトの死だけが死なんですよ。ですよね。そんなこと、本音でそうだって言うことは臨死体験をしたヒトに聞くとよくわかるんですよ。臨死体験をしたヒトがよく言うんですけど、河の向こうから、河が出てくるんですよ。なぜか。臨死体験したヒトは。河の向こうから、死んだ姉さんがとか死んだおばさんが手招きをしているって言うんです。不思議でしょ?何で死んだおばさん、姉さんなんだって。僕それ答えが自分なりに答えを見つけたのが、ベトナム戦争で従軍した兵隊さんが、アメリカの、臨死体験をするんです。その時に、彼が何を言ってるかっていうと、自分の小隊で戦死した戦友が全員出てきたって言うんですよ。あっ!これだと思って。私が実は4歳か5歳、5歳に近いときに父親に死なれているんですけれど、臨終を知ってるんですよ。年中いましたから。ベットの脇に。つまり私がだからぱっと死で思うのは父親の死でした。つまりそれと同じだと思うんですよね。自分が直接に体験している死だけが死なんですよ。どうしてそういうかって言うと、臨死体験って言うのは、ぎりぎりのところですから、本人死にそうなんですから、わずかに意識が残っている夢みたいな。その段階で連想として出てくる死というのは自分が直接に知っている死なんです。あとの死は全部抽象です。だから、臨死体験者の中に、よくいるんだけど、キリストも田中角栄も出てこないんです。両方とも死んでるんですけど、皆さんもそうでしょ?田中角栄は死者として特別な感覚的な、情緒的な繋がりを持っていないから、そんなものは、頭の中での抽象で、よく体験大事とか言うんですけど、ヒトはそうやって、自分が体験してきたことについては非常に強い現実感を持ってますけど、特に死はそうですけど、自分の死はどうかって言ったら現実感はない。だって死んでないでしょ?一回も。私もそうですけど。14:40って言うことは自分の死はないんですよ。ないって言ったら変ですけど考えても意味がない。それがわかった瞬間自分は死んでますから。この歳になって死ぬことってなんですか?ってときどき聞かれるんですけど、知ったこっちゃないって結論ですわ。(笑)死んでみなきゃわからないでしょって。で、死んでみたときには私いませんから。でも私が死んで一番よくそれを考えることができるのは、女房であり、子どもであり、残った人たちでしょ。で、赤の他人とかであいつもぉ死んだかとか、まだ生きてたかとか言われるぐらいのことですわ。知ってるヒトでも。そうですよね。何でかって言ったら、
もぉおわかりかと思うんですけど、我々って相当いろんなことを錯覚して付き合って、一つの錯覚は、だから、世界は自分中心になってくる。こんなことは、当たり前なんですけど、私もぉ75年生きてるんですよ。後期高齢者なんです。この歳になると、世の中の考え方がどれくらい変わってきたかって、ある程度実感してるんですね。
例えば戦争中のことを言うと古すぎて怒られちゃうんですけど、考えたら奉公でしょ、ほんとけしゅうそ 一億玉砕で、みんな戦争で死ぬのが当たり前だと思っていた時。そうですね、だから、昔はもぉ、一銭五厘って言って、徴兵ですよ。はがき一枚で。一家の働き手であろうが何であろうが、一切容赦なし。何でそういう世界があったかと言うと、それは個人の生命とか、個人の人生とか、それは個人のもんじゃない、みんなのためだということが大前提だった。だから今でもたまに特攻に行きたがるヒトがいるんですよ。特攻隊のヒトで、特攻に行くはずだったのに生き延びちゃった、それを今の記者のヒトがインタビューして、話し聞いたりして、そうすると「特攻に行く時どんな気持ちで行ったんでしょう?」っていうことを必ず聞くんですけど、それは必ず答えは同じですよ。「周りのヒトのため。」天皇陛下じゃないんです。これだけ年数経てばみんな本音が出てくる。みんなのため、ってことですね。
何でそれが関係あるか多少おわかりになってくると思うんですけど、ヒトと動物のかかわりっていうのはそういうことの、一部なんですよ。続きなんですよ。生き物と我々は、どれくらい繋がっているから。戦後ずっと変わってきて、個人というものを中心にしてきたから、だから、個性ということを言って、個性を伸ばせとか。それは欧米の社会で、これは、いつ欧米の社会で生きてきたか。ルネッサンスなんですよ。ルネッサンス後から発見されていく。個人という概念ができてくるのは、ヨーロッパでもかなり、新しいことです。それが徹底的に優先して来るのが19世紀なんですね。それで今はいいんですけど、だから我々はもっとそれ以前の世界に生きてたと言えるので、子どものころは。そこでは個よりも全体が優先する。そういうのが政治に出てくると全体主義と言って嫌われるんですけど。今も。もぉ民主主義の正反対みたいな。民主主義とは何だというと、個人が全体になっていって、その個人が集まって社会を作ろうとするんです。だからそういう風な考え方が、19世紀の欧米のいわゆる近代的な生物学に異常にきれいに出てるんです。生物学っていうのは、生き物っていうのはそれぞれ個体があって、その集団がと考えるわけです。
もう少し前の18世紀の倫理学の??が作った世界を階層的に作りあげます。階層というのは、どういうことかと言うと、種があって、たくさんの種があってネコとかイヌとか、ある種のまとまりを持っていますから、一番下が種で、これをいくつかまとめたものが属で、それをまとめたものが科で、それをまとめたものが目で、こうあがってくるんですね。これが何かって言うと、階層構造です。僕が研究者として専門でやっていたころに、こういうの(階層構造)よく見ましたよ。日本ではまず見ないです。こういうのはヨーロッパ的な考えです。
で、この理由ですけれど、ちょっと話が横へいっちゃうんですけど、世界を階層的にみるっていうのは、私感覚的にぴんと来ませんでした。これは何かと言うと、西洋言語でないとピンとこないと思います。それは、アルファベットの世界。アルファベットを使っているとこれはよくわかると思うんです。だけど我々だとあんまりよくわからない。世界がそんな階層的だなんて思ってないでしょ?この話をすると横にいってしまいますから辞めますけど、それで世界はこうやって(階層構造きれいに)秩序だっている。こういうものを我々だったら種を中心に考えるんです。その種の中を考えるんだったら、答えを考える。そういうのが集まって整然とできているという風に思う。思うんですから、意識なんですよ、実は。世界の性質っていうよりも何よりも。でもまぁそれはいいとして…
 そうすると何が抜けてくるかって言うと、種と種の繋がりはこういう一つ上の属っていうグループの中って位置づけられる。でも、現実に我々生きている時は、イヌとヒトとの繋がりとか、ネコとヒトとの繋がりっていうよりも、個体と個体の繋がりですよね?うちのネコとかさ。そういう風な具体的な繋がりが結構これ(階層構造)だとよく見えなくなってくるんですね。
それで最近いろいろ説があっておもしろいことがわかってきているんですけど。じゃあ、ひとと動物の繋がりっていう面から考えたらどうなるかって言うと、結論から先に言うとですね、ひとと動物は初めから繋がっている訳ですよ。進化で言えば祖先が同じだって。だから親戚ですよ。ネコもイヌも我々も。少なくともイワシとかサンマよりは近い親戚です。だけど、そのくらいのことしか考えないでしょ?だけどねもっと古くまで遡っていくと、びっくりするようなことがわかっているわけですね。つまりヒトの精子を考えたら、頭が三角してて、しっぽが付いてる訳ですよ。鞭毛が。三角のしたにミトコンドリアが二つこうある。もぉほとんど同じでウニだってこうなっていますから。いろんな動物の精子がこういう形になってて、他に、頭のところに膜被ってて、ゴルジ体からできた、受精の時に働く機関とかついてますけど。それを全部省略する。早い話が、頭とミトコンドリアとしっぽの鞭毛ですよ。これ鞭毛で動いて頭の中には何が入っているかというと人間の遺伝子が入っていますから、これを卵に持ちこむと。そこまで誰でも知ってるでしょ?こんなような絵ぐらいどこでも見たことがある。だけど最近の生物学者が見つけたことの一つが、このミトコンドリアと鞭毛ですけど、これも元々、ゲンカクせず、別の生き物だったということがわかっているんです。
 真核細胞っていう核がある。この生き物に中心体っていう格好と構造と、ミトコンドリアがいっぱいありますけど、これいずれも真核細胞に進化がある時期に住みついちゃった生き物なんですよ。ただいま現在みなさま方のお腹の中に100兆あまりの細菌がいるって話です。僕らが学生の時代は1億って言ってたんですけど、現在100兆まで増えました。増えたって別にその頃から増えた訳じゃない、ただ数の数え方が変わってきただけのことですけど。みなさん100兆お腹の中にいるとは思ってないでしょ?僕は学生の頃だったから、一人一人火葬すると1億玉砕だよなぁなんて笑ってたんですけど。今はそういうことじゃないんですよ。だけど今は、100兆の細菌をお腹の中に抱えているヒトが、何言ってるかって話なんですけどね、横須賀線の東京駅のホームから、あれは地下5階ですから、エスカレーターで永遠と上がっていくんですよ。上に。1階まで。そのエスカレーターのベルトに、ある日見たら何と書いてあったか、除菌って書いてありました。(笑)腹の中に100兆のバイ菌を抱えているのに何が除菌だよと。これなんと、みなさん方、違う生き物が3つくっついてできているんですよ。遙か遡れば、進化を。こんなこと思いませんでしょ?そんなに。そこまで繋がっているってことが、ありとあらゆる生き物がたぶん繋がっているんですよ。最初から繋がってできた訳でしょ?それを考えてみればすぐ分かる。植物が生えていないと、我々まず食うに困っちゃうんですよ。動物が一切生きられないですから。何かの形で最終的には動物は植物に依存して生きているんですから。当たり前ですよね?前にここでも言ったと思うんですけど、こういう葉緑体も別の生き物だったんですよ。変核せずに。それが細胞に住み着いたんです。そんなこと何でわかるんだっていうと。遺伝子が違うから分かるんです。しかもその遺伝子って稲ですけど。それが今でもDNAでちゃんと残っているんですよ。葉緑体も自分の遺伝子持ってるんですよ。0
 おもしろいのはだから、アメリカにいる生き物で、水の中いる、ナメクジみたいなのがいるじゃないですか。雨ふらしとか、ナメクジみたいな。淡水の中に住んでて、藻を食べてて、なんとですね、その生きものは、特別な細胞を持ってて、食べているものの葉緑体を取り込んじゃうの。そうすると体の中に葉緑体を持った細胞がいっぱいできてくる。しばらくそうやって暮らしていくうちに、口がなくなるんですよ。なぜかって言うと葉緑体を持った細胞が体の中にたくさんできてきますから、食べてるやつですよ。葉緑体を消化しないでそのまま体の中に取り込んでいるんですから。で、光合成始めるんですよ。そうすると食わなくていいじゃないですか。僕それ読んで、本で読んだんです。新聞で読んだんです、実際には。びっくりしてですね、これはいいもの見つけたと思って!今ips細胞作っているじゃないですか。山中さんに頼んで、僕の細胞から作ってもらって、それに葉緑体を咬ませてですね、私の中に入れるとしますよね。(笑)
そうすると私は葉緑人種になってですね、そうすると、もぉめんどくさい、歯は悪いし、食べるのがめんどくさいですから、陽に当たっていればお腹いっぱいになる。(笑)これすごく平和でいいなぁと。水飲んで炭酸ガス吸ってりゃいいんですから。そしたら、炭酸ガスが増えて困るとか言ってますけど、僕が吸ってやるからいいって。あの、植物人間ができちゃう。本当の。世界平和になるな、これ食糧難を解決するしって、思ってですね。
それ何言ってるのかっていうと、実は生き物っていうのは共生しているんですよ、本当は。我々は分けたんですよ、勝手に。だからひとと動物のかかわりって言ってますけど、分けたから関わりってことになってくるんだけど。分けなきゃあいつは俺なんですよ。変なこと言ってますけど。そうでしょ、繋がっているんだから。それをちょっと考えてみると、自分っていう。これ何だ?意識は俺だ俺だと言うんですよ。自分って。だけどみなさん寝てる時に自分って考えたことありますか?これ本当におもしろいんですけど、寝てると自分は何でもいいんですよ。そうでしょ?寝てる間に俺が女だったんだけどって、べつにそれが現実じゃないんですよ。夢だろ、それは。だから宗氏には夢に蝶となる、夢の中ではチョウチョウになるになるって話がある。昔からそういうのは分かっているんです。夢の中で、チョウチョウになろうが、ゴキブリになろうが、知ったこっちゃないんですよ。そうすると我々が自分だと思っている覚醒しているこの意識ですね。
そうすると覚醒しているこの意識が、自分ってのは何でだろう?これ僕は非常に気になっているんですね。特に私、北里大学に行っている時流行ってまして、自分探しが。学生が時々、自分探しがとか言ってるんですよ。どうせ年寄りですからね、気に入らないのは、捕まえて、聞くんですけど、「おまえ、今自分探しって言ったなぁ」って言うんですよ。で「探しているおまえは誰なんだよ?」って聞くんです。ようするに訳がわからなくなってるっていう。聞いてる方も分かりませんけど、本人も分からないんですよ。自分探しする以上は、どっかに本当の自分があるわけで、じゃあ今の自分は何なんだって?ね、これ(??)じゃないですか。だけど、自分って言ったら誰でも分かる訳で、そりゃ何だって言ったら意識があったら自分でしょ。意識に自分っていう、癖が付いているのは間違いないんですよ。寝たら違うんですから。夢の中では。それは同じ自分でしょ。それでいろいろ考えているうちになるほどって思ってくるんです。
まず答えから言いますと、自分の脳みそって言うのはどこにあるかって言いますと、私は知らなきゃいけない、空間前定位って言われる、機能がある領野に。大幹皮質いろんな領野に分かれているんですけど。空間定位という領野があります。これが壊れるとどうなるかと言うと、簡単ですよ。自分が壊れるんです。自分が壊れるっていうことは、自分だって分かってるでしょ?ここからここまで自分だって。一番謙虚なヒトは皮膚より中が自分でしょ?そうなんですよ。お金持ちなんか、自分の持ってる土地も自分だって思って、他人が入ると怒ってますから。車の好きなヒトは自分の車は自分の一部ですから。子どもが蹴飛ばしたりすると、うっかりすると子どもを殺し兼ねないっていう怒り方をするっていう。自分が広がってるんですから、適当に脳が決めているんです。自分の範囲は。だけどとにかく、ある範囲が自分だって、決めているんです。その機能があるってことは、この働きがここだって分かっているんですよ。
なぜ分かったかって言うと、ここが壊れるヒトがいるわけです。壊れるって必ずしも病気で壊れるだけじゃないですよ。でも病気で壊れたヒトの言い分を聞くと、一つ、よくわかるのは、ここから壊れていく。つまりここらか、脳出血を起こす。そうするとそのヒトが何て言ったかと言うと、自分が水になっていくって言うんですよ。自分っていう領野に、これが私だっていうのがあるでしょ?これが壊れていきますから。そうすると私がなくなっていっちゃって、水になる。水になって広がるんですよ。水だから。身体が流れて。どこまで広がるか?おもしろい、これが。世界、宇宙と一致する。そこまで言ったら分かるでしょ?宗教体験とかでよく出てくる。自分が宇宙と一致する。世界と一致する体験。つまり、脳みそがここを壊さなくても、薬飲んでもいいんですよ。カスタネーダっていう文化人類学者が、メキシコでシャーマンに入門して、薬ですね、薬草とかきのことかあぁいうの使うじゃないですか、それを使ってこういう体験してることを長々と書いてるんですよ。もちろん宗教家はこういう体験するんで、自分を世界と一致する。そのことによって、前から今日まで思ってたんですけど、何でそんなことが起こるか。そのためには空間定位領野っていうのがなぜあるか。この中で自分がなぜいるのかっていうのを説明しなくちゃいけない。
これは何か?車のナビです。みなさん動物で、今日ここにいますよね?武蔵境の。今日お宅帰れるでしょ?どうして帰れるかっていうとみなさんナビ付きだからですよ。このナビには車のナビよりちょっと高級になってまして、物理的って言うか、地理的にここがどういうところかわからなくても、来た時に私は、さっき言ったように的場さんの息子さんの車に乗っけてもらってここに来たんですけど。帰らなくたっていいんです。つまり、同じ車に乗っけてもらえば帰してもらえるってことがわかってるんですよ。誰でも入ってるんですよ、我々のナビには。車のナビはおよそ原子的ですから、物理的な地図しか入ってませんけど、みなさん方のナビにはかなり複雑な地図が入っている。それを皆さん方なんと言っているか、世界と言ってます。その中で絶対になくちゃいけないのは、ナビとして使うなら、それは現在位置を示す矢印です。必ずナビの中に入ってるでしょ?ナビに現在位置が入っていないと世界の地理にはどんどん詳しくなってもですね、次どこ行ったらいいかわからないんですよ。そんなことで、だから皆さんが、自分ってものをもともと持っていて、これを絶対なくさないで、必要だと思っているのは、ナビに矢印が必要だってことと同じなんです。だからナビの矢印が消えちゃうと何が起こるかっていうと、全世界が自分になって当たり前なんですよ。だから世界と一体感を感じているヒトはどうなるかっていうと、動きません。ハッピーなんですよ、それで。動きようがないじゃないですか、自分が世界なんだから。もう一つ大事なことがあって、宗教体験で、ものすごくこれは、至福の境地です。ある意味では。どうしてそうなるか?世界全体が自分になったら、随分楽じゃないですか。一切、敵とか異物がいないんですから。しかも皆さんこの中は徹底的に、プラスのつもりです。いいもんでしょ。自分ってのは。自分は客観的で客観的に自分を見てるっていくら言ってるヒトだって、他人に悪口を言われたら絶対怒る、気分悪いんですよ。
っていうことは何かっていうと自分だけは、矢印の中だけは、矢印のあるナビは徹底的に依怙贔屓なの。この依怙贔屓を子どもがしてきた質問で、子どものする質問で分かるでしょっていつも言うんです。それは何かって言うと、小学生くらいの子が聞く質問の一つに、口の中にある唾は汚くないのに、一旦外に出すとどうして汚いの?って聞く。だから私、一応これでも医学、医者の免許持ってますけど、免許だけですけど持ってるのは、ペーパードクターってやつです。(笑)やはり検査するから、調べるとして、埃もちょっとついてる、唾を下さいって吐いてもらって、はい検査済みましたって言って返してもらって、もう一回飲んで下さいって言われたらどうしますか?何で嫌なんだって考えたことありますか?意識がここを依怙贔屓してまして、自分の範囲決めてますから、そこから、自分の一部が外に出たって意識した瞬間に、たぶん依怙贔屓してた分だけ、マイナスを付けると思うんですよ。公平にするために。だから皆さん一時自分であったものを外に出すと嫌なんですよ。
それを一番きれいに示しているのが、私が戦後、あっという間に進行して、びっくりするぐらいの早さで進行した出来事が一つあるんです。それは何かっていうと、水洗便所です。あれ、みなさん出したんですよ、で、水で流して知らん顔してるでしょ?只今現在ここにおられる皆様方の大腸の末端から集めると、そうとう汚いものが積み上がると思うんですけど。それを今皆さんが自分で持ってるって思ってないでしょ?自分の中に入れちゃうと汚くないんです。一旦外に出すと見たくないんです。触りたくない。それ徹底的な依怙贔屓じゃないですか。
ですからそれをさらに押していくと、何と19世紀以来っていう、いってしまいますけど、もう少し前からなんですけど、個人中心の文明っていうのは、ナビで言えば、矢印中心の文明なんです。矢印が世界なんですよ。それは間違いね。たぶん。36:27矢印が世界だから、動物も矢印以外のものですから。自分は依怙贔屓してますから。マイナス点が付くんですよ。自分に比べたら。それで何が起こったかというと。自分ってこの程度のものだよって私は思うんで、今の若いはヒトは特に、今の世の中で生きていると、自分を大切にしたいヒトとかいろいろいるんですよ。ナビが矢印を優しくするのは、これは当たり前でさっき言ったように、矢印のないナビは使えませんから、でもまぁそれだけのもんですよ。特別の価値観がある訳じゃない。でも、なぜか知らないけど、それに人間が特別な価値をつけているんで、それが当たり前で、それがなぜかと言うと自分の保存本能とかいろんな言葉で言われていますね。パスカルは、これを自己愛という。パスカルの本を読んだらお分かりになるでしょうけど、自己愛が諸悪の根源だって彼は思ってたんです。単なるナビの矢印にすぎないのに、書いていませんけど、それにプラスの価値をって言われてますから。ヒトは。だって、初めからそうなんですからしょうがないじゃないですか!これは。そうでしょ?それをいいとか悪いとか言ってもしょうがないんで、何が問題化っていうと、そういうもんだっていうことをわかっていればいいんですよ。それが自分だと。だから、それがナビの矢印だと、矢印程度のもんだよと、非常に極端に強調していけば、戦前から戦中の日本みたいな社会になるし、矢印以外が中心だよと考えたら、今の世の中になるし。これ両方ともかなり極端ですよね。どっちでもねぇよって言う、感じ。適当なところでぼちぼち収めなければいけないんですけど、そういうことって今のヒトはだいぶ相当苦手ですね。なんか極端な答えを出してあげないと、納得できない。安心できない。これが正しいんですよと、それが教育を見ているとよくわかる。
私、大学の現役だったころに、20年以上前ですけど、東大辺りで、一番困ったのが、入試ですよね。変な問題出せないんですよ。何が問題かっていうと正解がない問題を出すとぶったたかれちゃうから。メディアに。こっちはいくらでもあって、正解のない問題だって、答案を見たら、ばかりはよくわかりますわ。問題は答えであって問題じゃないんですよ。愚問権問うっていうじゃないですか。でもそんなこと認めてもらえませんわ。正解がなきゃだめだって。どのくらい正解があるのが正しいかと思っているかっていうと、もぉ今の人って、全ての問題に正解があるとあらかじめ決めてますよね。だからグアム島の無差別殺人じゃないですけど、あぁいうことが起こっても新聞何て書いてるかっていうと、新聞は警察は動機を追求しろと書いてあるんです。異常な事件が起こっても、その異常な犯人が理解できるって設定になってるんですよ。追求するんですから。僕なんか事件が異常だと、これはわかんねぇなって始めから思ってます。しょうがないじゃないですか。だってそれが理解できない、その心理が理解できたら、私も連続殺人やりかねないですよ。これをうっかり言うと差別っだって言うんですよ。でも、今は難しい世の中ですよね。わかんないヒト、お互いにみなさんわかってます?女房なんか何年一緒もいたってもわかんないですよ。(笑)わかんなくていいんですよ、別に。この程度の範囲に収まっていてくれればいいんですよ。そういうことでしょ。理解の問題じゃないなぁと私は思うんですけど。
いかに皆さんが、答えのない問題を嫌うかっていうと、これは女房が一番好きな番組、テレビの、一緒に時々観てるんですけど、よくわかる。それは不思議発見っていう番組です。不思議発見っていう番組をみていますと、中にクエスチョンですっていうのが出てきてですね、草野さんが質問を出すんです。そうすると並んでいるヒトが、黒柳さんを始めとして、答えを出します。正解ですっていう。こうなんですよ、必ず。僕あの番組で唯一気に入らないのは、それだって言うんです。なぜかっていうと、正解があるなら不思議じゃねぇだろっていつも怒ってるんです。(笑)でも今のヒトは不思議にも正解がないと気がすまないんですよね。不思議を不思議のままにしておいたら、不安でしょうがないっていうんですよね。そういう風に思う方は、若いヒトがいるからあれなんですけど、うちに帰って、連れ会いの顔を見てよく考えてくれって、これで正解だったか?(笑)それはわかる訳ないですよ、そんなこと。そもそも正解があるとかないとかの問題じゃないですよね。
それで大分前置きなんですよ、これでも、少しお分かりいただけたかと思うんですけど、動物って実は根本的に繋がってる方が先じゃないか。という風に思うようになりました、私は、で例えば松がないと松茸は生えませんけど、あれ赤松があったら必ず松茸が着いているんじゃないですかね?菌糸が。場所によって、地質体作って、地質体って言うのは、我々が食べる松茸ですけど、それが出て来なければ真っ先に、たぶん。ゴミなんですよ。松茸の松は。という風に考えていくとですね、どうしてそういうことがわかんなくなっちゃたかっていうと、稲だけ植えたり、杉だけ植えたりしてるからです。42生物って丈夫で、杉だけ植えたって稲だけ植えたって育つんですよ。でありえない。それを全部で生態系っていう言葉で言ってるんですけど。いろんな生き物がいるよって。そういうのを頭から初めからみんな繋がっているよって考えるのと、一個一個みんな全部種から分けて今度改めて共同していますって考えるのと、厄介です。こんな生態系考えたら頭パンクしますわ。一個ずつから始まって。おそらく私は21世紀の政策ってのは、生態系ってのはあらかじめあって、という考え方を、一部でとっていくだろうと思います。
これは、何かっていうと、もともと仏教ですよ。仏教では全て網の目で繋がっているという。これを縁起という。世界を繋がっているように見るか、一辺切っといて、もう一度を組み合わせて、ジグソウパズルのように組み合わせるかって、まぁどっちだって一緒ですけど。ある意味では。生物学ではどうも切断から来たから、ヒトと動物の繋がりっていう風に、改めて言うようになったんだと思います。
それでもう一つ自分で具体的に言えば、環境って言葉がありますでしょ。環境って言葉ができた。できたっていうのは公になった。公になったってことは環境省ができたってことです。国家が認めた言葉になりました。環境って言葉を国家が認めると何が起こるかっていうと。自分っていうものを国家が認めたってことになります。って何めちゃくちゃ言ってるんだって思うかもしれないですけど。なぜかって言うと、環境っていうのは自分をとりまくものと定義されるからです。自分を取り巻くものの方の、取り巻くものをモノとして、それをきちんと定義しますと暗黙のうちに、自分ができます。で、これは言わば環境ですから、公に許された言葉ですから、子どもたち、若いヒトは自分っていうのものを公に許された言葉だと、暗黙のうちに教育されるんですよね。それでいつも言うんですけど、じゃあ自分ってどこまでか?ってことさっき言いましたけど。考えて下さい。田んぼ見たらあれは自分ですよ、将来の。若いヒトにそんなこと言ったって全く通じないと思いますけど。田んぼに稲が育って、米がなって、その米を食べると自分になるんですよ。そしたら、米食べたら、自分と田んぼは地続きなんですよ。今はその米がどこから来るかわからないから、地続きって言ったってピンと来ないと思いますけど。そんな意識ないでしょ?魚食べてれば、魚は海のものを食べて身体作っているんですから、それを食べて皆さん方自分の身体を作る。ってことは、海は自分でしょ?切れてないじゃないですか、その間に。もっと言えば環境省が一番進化した、
例としてよくあげられるのは、月面着陸なんですよ。アポロ1号、2号か知りませんけど。4た5アームストロング船長っていうのがいて、月面に降りた。月に降りたときにこんな格好して降りたか?降りてません。こんな格好で月面に降りたらどうなる?あっという間に死んじゃいますよ。何で死んじゃうか?ご存知でしょ。空気がないからです。だからアームストロングは宇宙服を着ています。宇宙服とアームストロング船長の身体の間には一気圧の大気があります。じゃあその空気は、自分なんですか?違うんですか?空気は環境でしょ?と思うかもしれません。皆さん方、亡くなったヒトの肺を切り出して、気管を紐でしばって水に放り込む、浮いたら浮くんですよ。なぜ浮くかっていうと肺には必ず空気が入っているからです。その肺が仮に沈んだら溺れたヒトですわ。そうすると皆さん方の肺の中には絶えず入れ替わってますけど絶えす空気が入ってますから。必ず。それは皆さん方ではないんですか?だって、入れ替わるでしょすぐ。お言葉ですけど皆さん方の身体の中は、物質代謝で絶えず入れ替わってますから。早いか遅いかの違いだけでしょ。じゃあ空気は皆さん方自身じゃないんですか?自分ってものをたてると空気は自分ではなくなる。それは環境省になるとおわかりでしょ。自分の外。環境っていうのは。いけないって言ってるんじゃないですよ。お分かりいただきたいのは。自分たちがそういう過程の上でこういうものを作ってるっていう事を、忘れないで欲しい。
それを忘れちゃった世界で子どもが育ってくると、自分というものが確固としてあって、自分の周りってものが客観的に存在して、とこうなっちゃう。そうすると訳がわからなくなってきて、まぁとりあえず自分探しのうちはいいんですけど、これがもし小学生段階になってそういう世界になると、まさに自分の命は自分のものですってのは関係なくて、まず生きるか死ぬかは、自分が決めていいって、話しになる。いつの間にかなってくる。僕ら若い頃、医者の教育受けた頃の、精神科では、学童期の子どもの自殺は、ないって言われてたんですよ。だから世の中変わったんです。相当。親孝行なんて言ったら保険的な一事で言えたんですけどね、親孝行って何言ってるんだかって言うと、子どもに死なれて、一番泣くのは親なんですよねぇ。でも、もぉ誰もそう思ってないってことですよ。親孝行もぉないから。親はいじめたやつが悪いって言ってますもん。テレビで。それって実は関係ないところで議論してるんです。と私には見える。だから自分とはってたてるのを戦後の日本では近代的、正しい事としてやってきたって私は思いますよ。教育の世界にずっといましたから。そういう風に教わってきましたから。今になってみると確かに行き過ぎではある。だから田んぼは自分じゃないって話になって、環境に変わっちゃいましたから。地続きですよ。東京都ってすごいでしょ大都会だから。ほぼ100%の子どもが病院で産まれるんですよ。それで92%のヒトは病院で死ぬんですよ。だから、東京都民って私よく言うんですけど、東京都民って何かっていうと、仮退院を許されているヒトたちなんですよ。(笑)本当は病院なんですよ。いるところは。今ちょっと許してもらっているっていう。以上、終わりみたいなもんで、病人があれこれ言ってるもんですから、慎太郎見ると分かりません?あんまりまともには見えないって言ったら悪いんですけど、ようするにこういうのは僕は当たり前だと思うんですよね。生き物は繋がっているし。環境と自分の間には切れ目がないっていう。切らないと居られないんですよ。今のヒトたちは。だから、安心安全っていうでしょ?そんなもの自分の気の持ち方次第ですから。そうなんですよ。安心安全って、だから不安でしょうがないとかって言うんですけど。僕、よく言うんですけど、不安を感じないヒトと一緒に旅行したり、暮らしたりしたくないですね。ラオスに虫採りに行くんですよ、知らないヒトと。ラオスっていろんな動物がいるんですよ。ゾウもいるし、ひょっとしたらサルもいるかもしれないし、もぉ生き延びているかもわからないですけど。毒蛇ならいくらでもいるけど。去年、蜂に刺されて、私はショック起こして大変だったんですけど、そんなもんいくらでもいますわ。そういう所に不安のないヒトと一緒に行ったらどうなるんですか?ガサガサガサガサどこへでも入って行っちゃって、そいつ先にいかせりゃいいんですけど、(笑)そいつ何か事故起こったらねぇ、私も何か知らないけど大変なことになる。だから、不安とか危険とか感じないヒトなんてたまったもんじゃないですよ。人間不安で生きているのは当たり前でしょ?だけど今は不安だといけないみたいになって、そんなことでは不安ですって、怒ってるヒトいるでしょ。取り乱して。
昔のヒトはどうだったんだか、だからどうするかって言うと、意識が全てを管理する、これ当たり前で都会ではそうなんですよ。都会に慣れちゃうと、何でも管理できると思っちゃう。私は最初にそういう目に遭わされたのは、遭わされるって変ですけど、実は、古い話ですけど、村山さんが総理大臣になった時、つまり社会党がいってみりゃぁそれなりに総理大臣を出した、その前の社会党が何て言ってたかっていうと、政府の危機管理が、なってないって国会が追及してたんですよ。だから村山さんが総理になった時に、どこの官庁か忘れましたけど、内閣関係かと思うんですけど、危機管理の委員会。危機管理について考える会を一回作ったの。なぜかわからないけど、私も呼び出されてですね、危機管理について考えろっていうの。本当だったら、黙ってりゃいいんですけど、教授会だったら黙ってるんですけど、あぁいう委員会に無理やり呼び出されると一事言いたくなりますよ。しょうがない自分の意見言いました。何て言うか?しょうがないから私は、本当に真面目に言ったんですけど、管理できない状況を、危機っていうんじゃないですかって言ったんですよ。(笑)以上終わりです。そうしたら次にもぉそれ以上言いませんから。
自分の頭でじゃあ、危機があったって、昔のヒトはどうしてたんだろうなぁと。そうしたらすぐわかりましたよ。ぱっと思った。なるほど昔の人は、よく言ってたなぁと、「覚悟」そうでしょ。そういうことが起こりうるっていうことを悟っていて、その時にどうするかって、どうしようもないから悟っているんですよ。自覚していて。だからこういう風に津波が来たときどうします?昔のヒトは覚悟しています。って一事ですよ。どうしてそれで済んだかっていうと、金も何もないし、手の打ちようもないから、自分で腹決めていくしかない。そういう時は。死んだらどうするって、覚悟してるって、以上終わりですわ。安いんですよ。この危機管理が一番。(笑)予算一切いらないんですから。ただの危機管理って言ってるの。今はどうするかっていうと、あーでもない、こうでもない。あほだと思いません?はっきり言ってあほですよ。金懸けてそれに。お金があるからいいですけど。今は。別に私が稼いだわけじゃないから。好きに使ってくれって言ってますけど。
そういうことで何の話をしているかって言うと、結局は物事、生き物に限定してくるんですよ。これが繋がりってことの背景です。こうやってやっていくと、全て繋がっているっていうのが、まず当たり前ですよね?皆さん方だって、今日、昨日会って、いろんなもの食べているはずです。全部生き物ですよ。基本的には。それを頂きますって言ってたんでしょ?昔のヒトたちは命を頂きます。今のお母さん方そう思ってない。っていうのは、給食費払ってるんだから、頂きますっていう必要ないって言うんですよ。給食費を払った代価として、食べ物買ってるんだから。そういう考え方がどこから来るかっていうと、僕は非常に短絡している、短い、ようするに原因結果を必ず一つしか考えてないんですよ。いじめられたから、死んだとか。さっきもお茶飲みながら言ったんですけど、最大の原因は産まれたことでしょ?生まれなきゃ死ななかったんですからね。何を言っているのかっていうのは、元々はずっと連鎖していて、それをあれが原因でこれが結果だって言えないでしょ?ってことなんです。特に生き物の世界はそうなんですよ。非常に複雑にできていますから。見様によっては。だから、とりあえず、こうだったらこうでしょってのは、それは省略して言っているんであって、それは、ナナ、ハチ、ナナだかは知りませんけれども、やっぱり一応、リチウム電池が振動で、結晶かなんかを作って、熱が出て、火事になったってそういう話と違うんですよ、生き物ってものは。もっと遙かにやっかいにできている。電池よりは。電池は何であぁいうことになるかって事が必ず分かる、原因が。なぜかって人間が作ってるから。皆さん方がどこか故障して、特に頭の中故障したって、知りませんよ、何で故障したのか。でもそうやって故障してもわかりませんって言えないんですよ。今の世界は。お分かりですね?何かやる時と全く同じで、こうやっていろいろと提案するんですよ。先生やったらどうなりますか?って。やってみなきゃわかんないだろって。そうすると何て言われるか。無責任。(笑)教育だから大変ですよ。子ども育ってってどうなんだ、いろいろいじってみたってどうなるかわかりません。やってみなきゃ。やってみた結果が良かろうが悪かろうが、それが唯一の答えかっていうと、わかりませんわ。繋がってるんですから、全部。見様によっては。でもそういう風にモノを考えるのは今のヒトは苦手ですよね。どうして苦手かって、答えがなけりゃ気に入らない。だから池袋(秋葉原)の殺人があった時ね、次に何したかって、よく覚えてますよ、とにかく日曜日で、歩行者天国やってるから、あぁいうことが起こるって、歩行者天国を辞めた。それで犯人が使ったナイフ、あの型のナイフは販売禁止した。それで終わりです。今のヒトの考えってそういう風になってんだなぁって。あれ包丁で刺したらどうなってたんですかね?(笑)包丁販売禁止にするんですか?その型を。僕おもしろいなぁと思いました。現代人ってのは。このレベルの話聞きませんでしょ?さっき質問なしって言ったけど、変なこと言ってますから、ご質問あればご自由にどうぞ((笑))
  
 
  
 
 
 
 
 
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